霜の朝の音

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2017/11/12

霜の朝です
風もないのに
まるで誰かが辛夷の木を揺すったみたいに
大ぶりの木の葉たちが
地面へ落ちていく
少し哀しそうで潔い音。
この音もこの季節だけのものです。

”何がわかるのだろう? 美しいのはもちろんだが 美しさは関係ない
わたしとつながりあるに違いない(言語)のような気がする
ある日偶然出会ってすぐに絆とか情愛を感じる人のような気がする、
まだ知らないことばかりなのに、何十年も前から知っているような
距離と同時につながりを感じる
隔たりと同時に親近感を。”

倉敷への小さな旅へ
一緒に連れて行った1冊の本より

“ちいさな湖を泳いで渡りたい。ほんとうに小さい湖なのだが それでも向こう岸は遠すぎて、自分の力を超えているように思える。湖の真ん中あたりはとても深いことがわかっているし、泳げるとはいえ、何の支えもなく一人で水に入るのはこわい。”

泳いで渡りたい湖の描写で始まる
これまで岸沿いを泳ぐようにイタリア語を学んできた彼女が 母国語のそばを離れずに
”溺れたり沈んだりする危険なしで浮いていること”をやめて
イタリアに住むことを決める
”新しい言語を知り そこにどっぷり浸かるためには 岸を離れなければならない
浮き輪なしで 陸地をあてにすることなく”
そして彼女が初めてその地でイタリア語によって書いたという。
はるか遠くの国の言語へ 向かわせる情熱について 言葉の採集について
不完全さについて

”かつてないほど不完全を感じる 毎日イタリア語で話したり書いたりするたびに、不完全さに直面する
この曲線は痕跡を残し どこでも私についてくる
わたしはどうして大人として作家として 不完全さとの、この新しい関係に興味を持つのだろう?
それは私に何を与えてくれるのだろう?
不完全さは構想、想像、創造性に手がかりを与えてくれる。刺激してくれる
不完全であると感じれば感じるほど私は生きていると感じる”

つたないイタリア語で書かれたのに
そのたどたどしいニュアンスは日本語訳からは感じ取れないのですが、それでも
少し勇気をもらったような
どこかに根付くことに そろそろ根付かないと、なんてことに意識が向いてしまう時
さざ波のように響いてくる言葉でした。

言葉を通して自分と向き合うこと、も

倉敷についたのは夜
静まり返った美観地区を歩く

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郷土玩具館のスタッフの皆さんの心遣いと
在廊日に訪ねて来てくださった方たちとの交わした言葉がとても温かく
眠れぬ長い帰りのバス旅中に思い出したりして
八ヶ岳に戻りました。
唐松の葉が雨みたいに降ってる朝に。

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