セカイのノビチヂミ

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2020/5/31
朝の蝶
草の穂のてっぺんで
とろりと眠ってるのか
ぼんやりしてるのか
草の穂先でじっとしている
と、眺めていたら
ゆっくりゆっくり時間をかけて 彼女は旋回していた
朝陽は平たい翅にたっぷりと注がれて
橙色にひと色、鮮やかさが増していくよう

幸せそうな、彼女はタテハ蝶というそう

 

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つりばなも咲きました
ゆさゆさ繁った葉の陰で
愉快そうに揺れてるツリバナの花
いつのまに 咲いてたのね

金平糖みたいなちいさな小さな花を
じっと見つめていると
小豆くらいの花はそのうち親指の大きさに
やがて顔みたいに大きく見えてきて
だんだんこちら側がその大きさに合わさってくるような
こちらは蜜蜂みたいに、
小さくなっていくよう
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”夕立が過ぎ虹が現れて夜になった
そうしてうんと仰向いてる間に 私はふと自分が上になり空を見下ろしているような感じがした
一面に星をちりばめた暗い広大な深淵が直下にひろがっていて、
そこへ自分が落ち込もうとするのをごく短時間ながら感じたのである”

”愚かなことと言えばそれまでである。
人間はむろん地球の重力に支えられているので下というのは大地であり
上というのはいつも天である。けれど私たちが直立していることは見方を変えれば
頭を下にしてぶら下がっていることである
そのぶら下がっている自分をこの瞬間感じたと言って言えないことはない”
〜野尻抱影著 『星は周る』

ふと”星の王子様”の絵が頭に浮かんでくる

”人は宇宙の神秘を太陽に月に、そして星に求める。しかしこの脚下で直径1万三千キロメートルの巨大な球が、この刹那にも果てしない空間を秒速30キロという猛烈なスピードで走っているという事実を時に瞑想すると、慄然とさせられる”

コラムのタイトルは”錯覚”

 

朝陽の蝶 ちいちゃなツリバナの花
直立していることはぶら下がっていること、の一文が連れて言ってくれた宇宙の錯覚
世界が大いに伸び縮みしたような、
自分が自在にノビチヂミしたような
心地よい錯覚は
心を軽くしてくれる
、、。

Posted in 日々のこと daily note
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