春の章

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2021/4/5

曇りの朝に湖へ

今年の、今朝の桜を美しいと眺めている
その瞳の奥でいつの間にかあの日の桜も浮かんでくる

友人と見上げた桜
泣きそうなのににっこり笑って眺めた桜
冷たい風と生温い風の日と
その日の心模様のようなものまで

美しいなぁと感じる心の内側に
記憶の層があるとしたら
桜はそこを
自在に行き来させてくれる柔らかな何かがあるのだろうか

さむいさむい朝でした
4月の初めはそう
こんなだったのかもしれない
白い辛夷はてらりと薄茶色にうなだれて
背を伸ばしすぎたクリスマスローズも山芍薬の蕾も
不意に冷たい霜に抱え込まれて ただ固まっている、というような
そんな冷たい朝に
なんだか心のどこかでほっとしている、

春の隙間よ、 ねぇもう少しここに、立ち止まっていたい

“ここではふじざくらの小さな花が咲く。
それはようやく芽吹きはじめたから松の丘陵を、点々とかがるように白く咲くのである、、、、、
近づいてみるとから松のまだ短い針葉の緑は粉のように触れれば手につくかと思われるこまやかさである
ふじさくらの小さい花は、ほんの少し紅がかった仄かな言いようのない色合いで咲く。
林の中にいると、この二つの色はお互いに何かを言い交わしているような、色と色の行き交いがあり、吐息とも思われて
春が音ずれるとはこのような息づかいの音なのだと。そしてその音色というものが春の色なのだ、”

”目に見えぬ音色から、目にあざやかな色に移っていく時間が感じられ、
視る緑も、うす紅も、まだミドリ、ピンクという色名で言ってしまってはもったいないような、色合いと言いたい色である”
篠田桃紅 ”桃紅”春の章より

春が訪れるたびに読み返したくなる一節、
また明日、木々の芽吹きに目を澄ませてみよう、思う
さむい朝には目に見えぬ音色がまだ漂っているはず

 

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Posted in 日々のこと daily note, 空詩土にっき
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