草木の精

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2021/6/19

6月は湿度があるせいかしら、体の内側と外側の境界がいつになく柔らかで
水の音、雨上がりの色がすーっとこちらに溶け込んでくる
そんな感覚がある

忍冬の蜜のごとく甘い香を鼻先からいっぱいに吸い込めば
草木の精がとろりと内側へ入っていくようだし
ユスラウメの輝く赤い実を口に放り込むと
紅い実の精が とくとくと流れる血液に合流するような

”人間の耳って外でなっている音を聴いているというより
自分の耳からも音を発していて自分の耳から発している音と同じ音が外から聞こえると共鳴して聴こえる ”そういう仕組みだという
”Takram radio ゲスト本條晴一郎 の話より抜粋”
ふと耳に入って来たこの言葉がしばらく耳に残っている

ここでいう音は波であり 波が震える速さのことを周波数
つまり、自分の耳も自ら周波数を出していること?
その物理的真相を確かめることよりも
彼がさらっと口にした”共鳴して聴こえる”という
その感覚的表現が心に留まった

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森の奥へ 滝に会いに行った日のこと
岩の間を流れる澄みきった水を ただ美しいと外から見ていたというよりも
そこに佇む自身の内の水と 目の前の溢れるばかりの水が
無数の水の粒子が皮膚を通ってこちらに吸い込まれていくように
境が透明になった あの日の感覚が呼び起こされてくる

 

植物と天との間で色を奏でるひと。
後光を放つような文体に惹かれながらも どこか遠くに感じていた志村ふくみさんの文章が
最近読み返していて少しずつ身近に感じられるようになった
(親しい染織家の友人が 志村ふくみさんのもとで染織を学んでいた、ということが大いに影響していると思う)
彼女との会話の中でひょっこりと出てくる修行時代のエピソード、
「語りかける花」の本の中に登場する「アケボノソウ、って見たことある?見て見たいなぁ」
と私、
「修行時代にね、京都の山荘があってね、私、ふくみ先生と2人で散歩したことがあったの
まゆちゃん散歩に行こう、って。 その時咲いてたアケボノソウ、押し花にしてとってあるのよ」
そう染織家の彼女がいう のだから、ふわっと近づいてくるのだ。

”その桜の枝をいただいて帰り 炊き出して染めてみたら匂うように美しい桜色が染まった。
染場中に何か心までほんのりするような桜の匂いがみちていた。私はそのとき色が匂う ということを
実感として味わった。もちろん匂うとは嗅覚のことではないのだが人間の五感というものはどこかで繋がっていて
美しいという要素には五感の中のいずれかと微妙に響き合っているものがあるように思われる。”
色を奏でる 志村ふくみ著 より

また
”自然の諸現象を注意深く見つめれば自然は自ずからその秘密を打ち明けてくれる
それは秘密などというものではなく、心の篩の目が荒くて重要なものを見落としてしまっているが、ふと気がついて
熟視し、思いをこらすとき 急速に篩の目が密になる。条理(キメ)こまやかになるということは自然の中に瀰漫している無数の粒子がある秩序のもとに統合されてゆくことであり、内なる光と外界からの光とが相呼応して見えてくることでもあるように思われる”

私にとっては”篩の目”、というよりも 膜のようなものだなぁと思う。
身体感覚に(心に)纏わり付いている膜が ある景色の前に立ったとき魔法のようにふうっとほころぶ、
力を抜いてそれに身を任せることができればその膜は果てしなく透明に柔らかくなっていく、
そういう瞬間に 外側にあった景色や、色、音、水しぶき、が
こちらの内側に入り込んでくる
ああ、そういう瞬間にもっともっと立ち会いたい。
ささやかだけど
ユスラウメの輝く赤い実を口にする瞬間だってそういうものなのかもしれない

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