記憶と水脈と

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2022.7.7
友人が教えてくれた本
「庭とエスキース」奥山淳志著 としばらく過ごしていました。
写真家である著者が、北海道の丸太小屋で自給自足をする弁造さんと出会い、彼の生きる姿、庭とともに暮らす姿を14年にわたり撮影しつづけて、のちにその記憶を綴ったもの。

さまざまなエピソードが折り重なって
チャーミングで頑固で、ユニークな弁造さんの存在が頁をひらく度に立ちあわられてくる
著者が”記憶の中の弁造さんに” 息を吹き込んでいく
その何気ない筆致が素晴らしいなぁと思う
弁造さんの人生のさまざまなエピソードとともに二人が共に過ごした時間が匂ってくる、その温かさに心惹かれるのだとも、思った
弁造さんのことを語りながら、他者を知るということ、記憶を譲り受けるということ 生きることにも思索を深めていく

”他者からこぼれ落ちた記憶に静かに手を伸ばし、その記憶の持ち主になることができた瞬間に
”自分”という小さく限られた存在の枠から少しだけ抜け出して、束の間であっても自由になれる
そんな気持ちになるのは僕だけだろうか”

78歳から92歳まで弁造さんと多くの時間を一緒に過ごし、
誰よりも彼の記憶に耳を傾けてきたという思いがあったのだとおもう。
だからこそ彼の遺品に向きあった時に、知ることができない出会う前の弁造さんの人生の日々が広大な海のように広がっていることに愕然とし ”他者を知る難しさを思い知らされ”る。そしてだからこそ 豊かさと不思議さを受け取れるのだと気づく。
”弁造さんの人生の中にある僕の知ることのできない日々。それらが一筋の精冽な水脈となって、弁造さんという存在の中をこんこんと流れ続けていることを感じられたのではないか”

読みながらたびたび父のことが心に浮かんだ
私が知っていたのは、父の人生の、父が父になってからのさらにその一部分だけだということ
退院して自宅に帰ってきて逝くまでの1週間、最期を迎える数日前から身を起こして座りたいといい
背もたせに寄りかかりながら、じっと目を大きく開いてどこか遠くを見つめることが多くなった
みたこともない表情に戸惑いながらも私は「おとーさーん」と大きな瞳の前に顔を寄せて手を振っておどけてみたりしていた
その時間が少しずつ少しずつ長くなっていくようだった

あの時、「おとーさん」という私の大きな声は父の耳に届いていなかったのかもしれない
たとえ声は聞こえていたとしても
もしも、“おとうさん”でもなかった若い頃のある日に戻っていたとしたら自分が呼びかけられているとは思わなかったかもしれない
その瞳はただ大きく見開いていてどこか遠くをじっと見ていた
辛そうではないけれど真剣な眼差しで

私がまだ小さかった頃、父の自転車の後ろに乗って近くに住んでいた祖母の家に週末によく行っていた
いつものように自転車の後ろに座りながらあの時、私は父の大きな背中から前を覗きたくて頭をぐいっと右側に出した
と、ちょうど電柱の横に差し掛かり、そのまま頭をごツンと電柱にぶつける、というハプニングがあった
きっと大したことはなかったのだと思う。救急車も病院の記憶もないから、大きなたんこぶくらいで済んだのだと思う
そのことを不意に思い出して、
目を大きく開いて座っている父に、ねぇ覚えてる?とそのことを話してみた
多分聞こえてないだろうなぁと思いながら、
話終わると僅かに表情が変わって、へぇそんなことあったっけ?という風に、瞼にくいっと力が入りこちらを見返してきた
それもとても嬉しそうな表情で。

父になる前の父の、例えば少年の、青年の頃の日々のこと、父からほとんど聞いたことがなかった
父自身が自分から語ることもあまりなかった
八ヶ岳で暮らす日々ではもっと実際的な草刈り機の使い方とかトマトの支柱とか、パン作りのあれこれとか
そんな実用的なこと、話とも言えない話、ばかりしていた気がする
だからどこかで ああ、もっと聞いておけばよかったなぁという思いが残っていたのだと思う
でも私の知り得ない日々が 全て”水脈となって父という存在の中をこんこんと流れ続けていた”としたら
最期の日々の父の瞳にはそのはるか続いてきた水脈が存在していて、そうしてあの嬉しそうな表情を私に返してくれたのだ、とそんなことを思った

ふとした時に父の友人や知り合いの方から若かりし頃の思い出話を聞いてへぇーと驚き、また知らなかった父に出会う楽しみもある
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ニンニクを収穫した
昨秋にまだ元気だった頃の父が植えたもの
土に抱かれ冬を越して夏へ届いた
畑が育ててくれた畑の遺産
ずっと晴天続きだった日々の最後の日
あ、収穫しなくてはと気がつく 
これからしばらく曇りと雨の予報らしい
もうちょっと早く収穫すればよかったなぁ、なんかやっぱり抜けてるなぁと思う
でもそういうところには寛容で、いい具合に適当だった父もきっとははは、と笑ってくれている気がする
豊作だよ、とご報告
思いがけず空が晴れてきて
テラスにはずらりとニンニク、、ニンニクの香りの水曜日。

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