3月

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Hello March

柔らかな桃色が東の空に
雲に映ってたなびいて
溶けていく
遠くの蒼い山々と
木々は温かみのある濃茶
雲は薄いブルーグレイ

やがて雲の合間から橙の光
すべてに境がなくて
意気込みも気後れもなく
すべらかで
柔らかいとはこういうこと
空と大地に身を任せて
春へと着地したい

裸木の枝先が描くラインを
こうして存分に眺められるのも
もうしばらくのこと

2月は美しい雪を眺めながら
薪を運び絵を描き
時々湖の深いところへ漂っていた
そう言う時は大抵
過ぎ去ったもの
もうここにいない人
何か失ったものへの想いが募る
息が浅くなるような日々だったけれど
心のどこかで今はそれでもいいのだと
思っていた気がする

どうしたって春が来る
ここにはいないものを
息途絶えたものを
すいすいとのみこんで春がやってくる
春は今まで生きたものたちを
内包した新しい芽吹きなのだ
などと思ったりしていました
年を重ねて来たせいでしょうか
見えないもの
消え去ったものをも
含んだ春を描きたいと

新年!

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2023/1/4

 

いつもの場所で初日の出を
空に色が漂いとけて吸い込まれていく様を
じっと静寂とともに
祈りを心に浮かべて待ちました
心も隅々まで澄み渡ったところに
日の光が山際にあらわれたかと思うと
伸びやかに走り抜けていきました
幾つでも夢を広げていいよ
そう言ってくれているようなおおらかな空でした

何よりも健やかに
平和な世界へ一歩近づけるように

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元旦からアトリエに向かう
待っていてくれた甘い香りの元へ
ニホンズイセン
久しぶりのMorningsketch
描くのを待っていてくれる花を前にして
動かせる手指が喜んでいるような感覚

新たな年のはじまりにぴったりな
きりりとした白と黄
房になって咲く小花たちはあっちへこっちへ
小さな首を伸ばして好奇心いっぱいの様子

まっすぐなようで
柔らかく曲線を描く水仙の葉っぱ 
これがあってこそ水仙らしさがあるのだなあと思う
Narcissus tazets var chinensis
ヒガンバナ科スイセン属

夜には映画を
C’MON C’MON
ラジオで新しいパーソナリティーの女性がおすすめしていたのを聞いて何気なく選んでみたら
とても良かった
(昨年には上映されていたらしいが、全く知らずにいた。もっと早く出会えたらと思えばそうなのだけど)
2023年の元旦に出会えたということ 
それがなんだかとても嬉しくていいはじまりだなぁと思う
もうご覧になっている方の方が多いのかもしれませんが
記憶に残しておくために
主人公のジョニーが甥っ子ジェシーに読んであげる本
星の子供 クレア・A・二ヴォラより
長くなるけれど全部分抜粋です

”地球へ行くには人間の子として生まれること
まず新しい身体の使い方を覚える
腕や足の動かし方、まっすぐ立つ方法
歩き方、走り方、手の使い方も覚える
声に出し、言葉を作ることも
やがて自分の身を守れるようになる
ここは静かで平和だが
向こうは色や感覚や音が絶えず押し寄せてくる
多くの生き物がいる
想像を超えた植物や動物
ここは常に同じだが向こうではすべてが動く
何もかもが 常に変化している
地球の〈時間の川〉に飛び込むのだ
多くを学ぶだろう
多くを感じるだろう
快楽や恐れ 歓びや失望
悲しみや驚き 混乱と喜びの中で
自分の来た場所を忘れる
大人になり旅をし仕事をする
もしかして子供や孫を持つだろう
長年理解しようとするだろう
幸せで悲しくて豊かで空っぽな 変わり続ける人生の意味を
そして星に還る日が来たら その不思議な美しい世界との別れが辛くなるだろう”

絵本ではこう続く

”Think well then before you go”

父の道具

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2022/12/30

アトリエに日本水仙の香り

新年の花を買いに行った
何よりも日本水仙をと願っていたので
出会えて嬉しい
しばらくはひんやりしたアトリエにいてもらう

東の窓際の外側が父の青空アトリエだった
流木の鳥も 何羽ここから生まれていっただろう
薪のこっぱ割りやなんやかやの修理を朝日を浴びながら
ごとごと ガシガシ音を立ててやっていたっけ
おとうさん、これ壊れちゃった、
と差し出すとしばらく経って大抵はどうにか治って戻ってきた
まだ使えるよ、ほら

あらゆる道具がそのままにしてあって
風に飛ばされてきた落ち葉さえも降り積もるほど 
ようやくこんな年の瀬になって少し片付けようという気分になった
錆びた釘ネジ類、、の宝の山
また何かに使えるはず、と使わなくなったベルトのバックルや
何かの家具の一部だった金具たちを大事に取り出し残してあったのだ
出てくる出てくる
私にはもう、どうしたって使い用のないものたちにはさよならをするしかない

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暮らしに欠かせない道具たち
斧やトンカチや、何か柄のあるものにはほとんど父の手が入っていたことに気づいた
使えるもの同士がまた合体していたり、
斧の取っ手の部分がまた何かの木の棒で差し替えてあったり
正直いってちょっとグラグラするんだなぁ、
でも私にはそれを修理する腕もないから
このまま出来るだけ長く大切に使おうと思う
父の道具を手にしながらの冬支度 
もうすぐ年があらたまる

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God Jul 言葉との再会

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2022/12/25

貝殻の
ちいさなクリスマスツリー

9月デンマークの海辺の町
波打ち際を歩いた朝に
ポッケにあつめた貝殻たち
波と砂の合間に手を伸ばしては
砂と貝と波の音と朝の光り
それだけに身を置いていたこと
Frederikshavn の港へ向かうのか去っていくのか
大きな船が遠くに爪楊枝ほどに見えていた

ひとつひとつ貝殻を積み上げながら
そんな記憶が浮かび上がってくる
白いツリーになりました

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“私は満足ということのほんとうの意味を言葉で説明できたらいいなぁと思います。それはいずれにしろ、なにかをすることとかかわることなんですが、それ以上に自分のすることによろこびを感じるかどうかに大きくかかわっています。そしていろんな夢をみるとか、友だちとこころをひらいて付き合うとか、そういうことだけではなく、なにかをそっと心の中にかくしておいたり、ひとにつたえきれない夢をみるというようなことにも、つながりがありそうです”

「ワニのオーケストラ入門」
ドナルド•エリオット文
クリントンアロウッド絵

昔のノートの
黄ばんだ紙のページをめくる
書棚を片付ければ片付けるほど
昔のノートが出てくるものです
心に留まった文章を書き出していたそのノートは1998年 
あの頃響いた言葉に
また朝のひかりが差し込む

”自分にとって良しと思うことをすればいい たとえそれに限界があろうと
お笑い草に過ぎなかろうといいじゃないの。これから大きくなろうとするもの 死ぬもの
花を咲かせるもの、必死に生にしがみついているもの、それらの世話をすることは
自然に近づくことだし、私たちみんなが属している偉大な神秘に近づくことなんだよ。
それはお前自身が大地という原初の大きな揺かごに戻るのが恐くないように、今から身を慣らしておこうとすることなんだと思うよ。すべてはそこにあるんじゃないのかねぇ、だから動物を飼い馴らし、植物を植え、餌をやって世話をしてやりなさい、ねぇアニーお前が気に入っているんだったらそこにいればいい。そこだって世界の一部なんだから。
お前の心と家が外に向かって開いてさえいれば、それでいいんだよ”

「運命の猫」 アニーデュペレ著 薮崎利美訳

どれも日本語の翻訳が素晴らしいなぁ

”気前よく時を費やせば費やすほど それだけたくさんの時を得られる
ちょうどサラダ用に摘めば摘むほど ますます青々と茂る野生の葉のように”
『雨水を飲みながら』 A.K.シャルマン

これを読んだ時の驚きのようなものと すとんと落ちてきたことを今でも覚えている
言葉としてよりも絵として記憶されていて ふとあるごとに
畑のルッコラを見るたびに 雑草の草取りをするたびに
ぼんやりその絵を思い出していた
じかんは生まれるのだ、と。
一体どこで出会った言葉なのだったか、長年ずっと思い出せずにいた
もう諦めかけていたから こうしてまた出会えて嬉しい
また図書館で借りてみようと思う

冬至の頃

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2022/12/22

冬至の前の数日はぐんと冷え込んで
あ、畑に植えたままにしていた小さな大根たちが
凍った土から抜きたいのに抜け出せない
不意に真冬が大きな姿でたちあわられた、そんな日々でした

冬支度に追われていた合間の1日、日帰りで思い切って東京へ出かけてきました
久しぶりにギャラリーをいくつか巡った中で
足立涼子さんの作品を見れたこととても良かったなぁと思い出しています

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小枝や蔓の片のシルエットを和紙に配置した作品”鳥の言葉”にまず惹かれ
2階に上がると結晶の形を文字のよう配置した作品が並んでいて
『雪の結晶は、天から送られた手紙である、ということができる」中谷宇吉郎の
(結晶の形が上空の気象状況によっていかに変化するかを丹念に研究した科学者)
その言葉から連想され生まれたという作品が机の上に広げられていた

”結晶は硫酸を使って自分で作っているんです”
いつの間にか会場に来ていた足立さんがそう説明してくれる
立ち現れた硫酸結晶の姿をとらえた白黒の大きな写真
そこから結晶の形を選びとり、ひとつひとつまた新たに配置していく
結晶が言葉になっていく
彼女の思考とイメージ、表現に至るまでの過程が純粋にそこに広がっていて
こちらにひとつひとつ丁寧に伝わってくる
黒い紙に銀色のインクでプリントされた結晶の言葉の形は
象形文字のようにも見えた

”自然がもし言葉を発するなら、私たちは今何を受け取るのでしょうか
生物・無生物の境界を超えた
地球上の多様な存在について その存在たちの放つ言葉について”
命を持ったひとりとして ある自然現象を真摯に見つめ
そこから受信した言葉を 純粋に抽出している

その彼女の姿勢に心から共感して帰ってきました

植物を見つめて、描くとき
わたしも無数の言葉を受け取っている、のだと思う
見つめる、そして何かを感じる
その意味を丁寧に掬いとって、見えない言葉として自分の内に積み上げていく
もう言葉になってしまったものを理解するのではなく
自然のそのままの現象を見つめたときに
本質的な言葉は生まれてくるのだと信じたい

”私はそれまで本を読んで物事を理解しようとしてきた
つまり言葉によって理解しようとしてきたのである。
しかし世界はそうでない認識の仕方があることがわかった
本質が形に現れるということがあり、事物に即した確かな認識がある”
半田こずえ「事物に即した言葉』

冬至の日は思いがけず寒さが和らいだ
凍りついていた土がフワッと緩んで
ちいさな大根たちを 救い出すことができた
上の部分は沁みてしまったけれど、風呂吹き大根にするには十分に美味しいはず

 

 

 

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