先日の野外firingのその後の話。
一日おいてその次の日の朝の集会(morgensameという朝の集まり。8時半から始まっていつもはまず歌を先生のオルガン伴奏で一曲歌い、それから先生または生徒のうちの誰かが発表したり、映像を見たり、ときにはドッジボールをしたりする時間がある)でみんなで外に出て、焼き上がりをお披露目した。
まあ古代の発掘物、そう、縄文時代の土器そのもの。半分くらいは割れていたり、火が十分でなくてクレイのままだったり。それでもうまく生存した陶器を掘り出して、少し蜜蝋で磨いてみたりした。陶器としての出来上がりはそうたいしたものではないけれど、焼き物というものの原点の姿を体感したイベントでした。
空き時間にはガラスの工房にも参加している。 ガラスの工房は静けさが漂っていて居心地がいいから、 空き時間はそこで過ごすことも多い。小さな透明ガラスのピースに色ガラスをちりばめて小さなガラス作品をつくってみた。 透明なものを手にしているとこちらの心が澄んでくるような気がしてくる。 そして一つ学んだのはガラスはとてもいろんな表情を見せてくれるということ。 シャープであり冷たくもあり丸くもある。 輝きと凉けさ 氷のような重量感とあたたかさ その透明感を引き出すにはとてもとても手間のかかること。
熱をかけて生まれたカタチ、その表面を磨いて磨いて、 あの当然と思っていたガラスの透明感が生まれてくる。ガラスを見る目が少し変わってきたかなぁ。

