雨と蝶

 

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

2022/6/13

緑雨の季節になりました
繁りすぎた草たちは雨にうなだれて
濃紫のクレマチスが艶やかに濡れています
6月の庭で咲いているのはジョンソンズブルーとニゲラ、丁子草、オルレアの白花くらい
アナベルが蕾をつけはじめ、梅桃は茂った葉の内側に紅い実を熟し始めています。
緑の、緑が主役です。春の花が咲いている季節ももちろんいいけれど
奔放にうごく茎、すっと刀のように伸びる葉、
空気を刻むようなギザギザ葉 
雨粒を受け止めるふくよかな葉
緑の差異が際立って その姿の集まりがただ心地よい

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

「雨と蝶」 水彩画
小淵沢での個展で展示した水彩画です
まだ芽吹きの気配のない2月、冷たい雨の日にどんな絵にしようかなど
意図もプランもなく描き始めたこと
曖昧なまま立てかけて また思い出して描き加える
次第に描くというより、大きな刷毛で染めていく、ような描き方でした
ちょうど2月の半ばくらいに父ががくんと力を無くしたように弱くなって
皆がただただ戸惑っていた頃、短い時間にアトリエに行って合間に描く、そんな日々でした
刷毛でひと塗り、またひと塗り、そうしていると水と色彩が心にもすーっと広がっていく
そんな感覚もありました。寄り添ってくれていた絵だったなあと、今になって思います。
父が他界してから、初めてアトリエに向かったとき
描きかけのこの絵が迎えてくれて、
ああ、またここから緑は伸びていくのだと、と感じたのでした
あ、蝶がいる、とある朝に画面に黄蝶が降り立ちました

ちょうど今の季節を描いていたみたい

OLYMPUS DIGITAL CAMERA OLYMPUS DIGITAL CAMERA OLYMPUS DIGITAL CAMERA

 

父の鳥を見てもらいたい、
そう思って2人展!と決めてたけれど 
なんだなんだ、見守ってもらっていたのだなぁと思う

あの一瞬のこと、
ふ、っと父が最後の息をおさめた瞬間のこと
今でも時々思い出す、思い出すというより、忘れないように記憶にまた息を吹き込む
こんなにも命の終わりが儚い、ってこと
(言葉で言うと薄っぺらに聞こえてしまうけれど)
たんぽぽの綿毛にふっと息を吹きかけて、あ、飛んでいっちゃった、みたいな
感覚だったこと をいつまでも覚えていたいと思う。
そして同時に父の存在は私の内側の要素となって残っているのだ、という実感も
内側だけでなく、家の中のそこここに
ただ輪郭が識別できない姿で存在してる実感も
日々増してきている気がする

不意に
小鳥たちがはしゃぐように囀り始める
と、灰白雲が薄まって辺りが何も言わずに明るくなる
そういう僅かな光のトーンを感じられるのも
曇りと雨を行き来するこの季節だからこそなのだ

雨続きでも小さな果実は赤く色づいている
ワイルドストロベリーの
赤色に指先が触れると、ぽとり雨滴も一緒に落ちてきた

 

 

 

Posted in 日々のこと daily note, 空詩土にっき
カテゴリー