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それこそが真実
2023.4.22
今朝の美しいひと
若葉色の桂の木の根元に
昨秋植えたチューリップ
朝はスカーレット色の姿で
陽の光を浴びると
思いっきり花弁を広げて
ひょろりと長い茎のなんとしなやかなこと
あともう数日だろうな
という頃に
アトリエへ連れてきました
さっきまでの陽光を不意に失って
彼女たちはしゅんと花弁は閉じてゆく
あらら、ら
午後には日が差し込んでくるからと窓辺へ
ちょっと用事で出掛けて戻ってみると
4人娘は西陽の中に少しだけゆるんだ様子で
これからの花瓶の暮らしがわかったのかなぁ
「私たちみんなの存在が、
真実を顕にする。
一本の木が、一枚の葉を出現させる、
それこそが真実。
鳥が留まりさえずる枝をつくる、
それこそが真実。 (ああ、私は何て素晴らしい時を生きているのか)
あなたがなすべき仕事がまだ残されている。
ねぇよく聞いて——
私たちはそんな物語を紡いでいくのよ。」
M.B.ゴフスタイン 最期のことばより「おばあちゃんのはこぶね」
友人にずっと借りていた本を彼女に会う前にもう一度ひらいた
そうか、とまた思う
あれ、そうかと言うこの思いは
たしか前にどこかで感じたなぁと
それからしばらくぼんやり考えていた
年初めに読んだ100分で名著の「スピノザのエチカ」
もちろん入門の入門であるのだけど、著者の国分攻一郎さんはとても簡易な言葉で説明してくれていて
ほほーと少しだけわかったような、気がしたのだ
”神は無限であり外部がない
わたしたちを含めた万物がその中にいるのだ”としたスピノザの考えでは
「神は自然と同一視されるのであり その自然は宇宙と呼んでもいい」と国分さんは書いていて
”私たち一人一人は神(自然)の一部であり神(自然)の変状したもの”で
”あらゆる個物は 神が様々な仕方で存在している、その様式なのである”と。
さらに言うと個物、つまりあらゆる存在は
ひとつの木の枝も
小鳥も蝶も
小川の水も
バッタも私も
”それぞれの仕方で神が存在したり作用したりする力を表現している、”と考えることができるのだという
神という少し力が強すぎることばを
ゴフスタインのように「真実」という言葉にに置き換えてみたら
ふわりと光が差し込んでくる
誰かが掌に若葉をそおっと置いてくれたように
豊かな気持ちになる
好きだなぁと思う
”私たちみんなの存在が 真実を顕にする”
ちいさな存在の側にいてただ描き留める
それさえも
もしかしたら真実に少し近づいているのかもしれない
「それこそが真実に」
黒々としたもの
2023/4/16
せっせと草取りしながら
何度も目が合うカキドオシ
こんなに見慣れてるのに描いたことがなかったなぁと
アトリエへ連れていく
カキドオシ
シソ科カキドオシ属
Glechoma hederacea subsp. grandis
黒い土と向かい合う日々
畑に種を蒔いています
春の展示会の後は少しバランスを崩しやすい
それはもうわかっていたのだけど
山に戻ってほっとした頃に
また何かハプニングが起きたりして
今回もやはり。
種を蒔く
その前にまず土を準備する
黒い土にまみれる
それが一番 ”戻る”のにいい と知っている
地味だけど 確実に
胡麻粒ほどのちいさな種を指先から土へと運ぶ
前向きになろうなんて
意図的に言い聞かせる必要もなく
いつの間にか心には未来のことを
頭にはあの採りたてのサラダを想像している
ただ黒い土にちいさな夢を託すだけ
どうして画家になったの?
いつ絵を描きはじめたの?
これだけ続けていると 時々不意に聞かれることがある
忘れていたわけではないけれど
黒い土を触っていると
ああ、ここが出発点なのだったと思い出す
絵描きになりたいなんていつ思ったか
そもそも思ったことなんてあったのか、
どこかあちこちから はるばる種を取り寄せたりして
せっせと種を蒔いてハーブを育てることに夢中になっていたこと
心身は極度によわっちく
何かになりたい、と思う勇気も持てなくて
人の中へと出ていくことができないまま
植物たちに 家族に見守られて過ごしていたこと
あの20代の日々のこと
ただ育てて、咲いた花の絵を描き留めて 祖父に絵手紙を送っていたこと
自分という殻をちょっとだけ
傷付けてそこにできたわずかな割れ目から
そっとそっと世界を眺めていた日々
弱くても弱いなりに
それでも何かを受け取って感じていたことがあったのだと思う
その殻の内側に景色が映ってた
日のひかりも柔らかく差し込んでくる
殻を破るなんてできるはずもないと思っていたけれど
やがてだんだん
外の世界全体が 透けて見えるようになったのだ
植物たちがその仲介役をしてくれていたと思う
鳥の声と草花は
殻の内と外とを自在に行き来して
彼らのそばにいると
わたしはここにいていいのだと 思えたから
vulnerability ということば
脆弱さは何かを生む力でもあること
Ocean Vuongという詩人のインタビュー(Louisiana Channel)が心地よく響いた
https://www.youtube.com/watch?v=u5NuCrAkjGw&list=PLQjV1I6KfcofM-WDx5I1odyfaJpmQq6FK&index=11
”So, I tell the student to bring down the shield that you have been taught since you were in kindargardens to fortify that shield, and to take down the armor and to step out into your work and your world and collaborate with your vulnerability is the most powerful and streang thing things to you can ever do as an artist.,is to say that my vulnerability is my power,,,,
今だからわかること
今になってやっと見えてきたこと
殻は時に柔らかな膜となって
でも不安定で些細で弱いことも
ずっと大切にしてたい
美しいもの
2022/4/16
ニリンソウに会いに行く
八ヶ岳に移り住んでもう20年になるというのに
まだまだ行ったことのない場所は多々あるもので
よく通りすぎている道からすっと一本入ったところに渓谷へ続く遊歩道があること
今ニリンソウが咲いているらしいよ、と聞いて
会いに行ってきました
澄んだ水の流れを聴いて
木漏れ日の中で
たのしそうだったなぁ
群れになっても
美しいとは
どう言うことなのか
それぞれが思うがまま
風に揺られ
光の方へ身を向けてるもの
俯いてるもの
隣同士で囁き合ってるもの
それぞれがそれぞれなのに
少し離れてみると
群れになって
ダンスしてるみたい
この日ニリンソウの群れが見せてくれた
白いさざ波のような景色を描いてみたい
「それは夢で見た これも夢で見る
そしてあれもまたいつか夢に現れるのだろう
すべてが繰り返され 具現化され
そして私が夢に見たすべてをあなたがたも また夢見るだろう
この世界から離れた場所で
波が次々と岸辺に打ち寄せている
波面に映るは星、人、鳥
そして現、夢、死ー 波また波が打ち寄せる…..」
アルセーニイ・タルコフスキー『白い、白い日』 より
何かを美しいと思う、その美の感覚はひとそれぞれで
それはいつどんな風に身体のうちに作られていくのだろう
小さい頃から、日々何かを目にし、口にし、陽を浴びて風をうけてきたなかで
微細なことにふと心が動く、そういう経験を
誰に教わることもなく積み重ねていくのだと思う
”美しい”という概念を知る、そのずっとずっと前から
それぞれの差異でそれぞれの感じ方で。
「人間の美的感覚は、長い生命の歴史の中で繰り返されてきた
数知れない経験の蓄積の遺伝的記憶の産物である」
そんな一節を読む
”小泉八雲論” 「ことばと創造」 鶴見俊輔
私が美しいと感じるものは
この心身だけの感覚ではなくて
もしかしたら嘗て父母が、祖父が美しいと感じたものの一端なのかも知れないとしたら?
さらに遡って、ある時代の冒険家がどこかで出会った鳥を美しいと感じたことにも
連なる、、、なんて思いを馳せてみる
それが正しいかどうかは別に
そう感じてみる、
ぐわりと景色が広がっていく
「各人は己の中に美の理想を有している。それは嘗て眼に美しく映じた形や色や
趣のありし知覚の無限の複合に他ならぬ」
この理想は本質に於いては静態的であるが、潜伏していて」
やがてある時「生ける感官が何物かに相対した時に」心の中にある(美の理想なるもの)が
「突如として点火」する 、のだと
何か新しいものを初めて見たり聞いたりしたときに
「私たちは驚愕を感ずるのですがそれは見たり聞いたりしたものの
斬新なる固めでなく心中に於ける奇異なる反響のためだということなのです
私は反響と申しましたが、記憶の反響という言葉を使った方が大層良いのでしょう」
(小説「遺伝的記憶」小泉八雲より)
そうなのかもしれない、と思う
そして春はとくにそうだと思う
枝の芽吹きに すみれの花に出会うたび
知っているはずの春なのに、また驚く
幾万年もの春の記憶は身体の内側に反響している
水彩のスケッチWorkshop
2023/3/29
展示会の二日目には水彩スケッチのワークショップを開催しました
この日も外は冷たい雨、気温もグッと下がっていましたが
皆さんの熱気?で春爛漫、温かないい時間でした
展示会前からずっと頭を悩ませていた草花のこと
今年はいつもよりずっと暖かくて春が早い八ヶ岳でも
まだ流石に花は少なくて、、もうあと2週間あとなら庭の花をワサワサ抱えてくることもできたのに、、
それでも蕾をつけた水仙、ちびシラーシビリカ、そしてたくさんのクリスマスローズを持ってきました
あとは姉のお庭のジューンベリーやスノーフレーク ローズマリー
その他はお花屋さんで色々と集めてようやく
草花いっぱいになりました。
まだ皆さんがいらっしゃる前のことまだ始まってもいないのに
あ〜よかった、とひと安心することができました
描きたい!と心が動く草花に出会うことが何よりも大切だから
草花を見つめて描く
ただそのことだけに
夢中になって
手を動かす
水と色彩と草と、親しくなる
皆さんそれはそれは真剣に向き合っている姿が印象的でした。
いつも草花を身近に感じてらっしゃるのだなぁということが伝わってきて
同じ花を描いても
それぞれ見える世界、描く世界は違ってる
そのことを共有できたことが何より
とても楽しかったです
ご参加いただきありがとうございました。
また開催できたら嬉しいです